金沢地方裁判所 昭和54年(ワ)328号 判決 1991年5月09日
甲事件原告・乙事件被告 能登砕石株式会社
右代表者代表取締役 渕田悦子
<ほか一名>
甲事件原告 吉坂マチ子
<ほか二名>
乙事件被告 渕田和夫
<ほか一名>
右七名訴訟代理人弁護士 山腰茂
甲事件被告・乙事件原告 松下寿子
<ほか三名>
右四名訴訟代理人弁護士 野村侃靱
主文
一 甲事件原告らの請求をいずれも棄却する。
二 乙事件被告らは、連帯して乙事件原告松下寿子に対し、金一一九万一〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 乙事件原告松下寿子のその余の請求及びその余の乙事件原告らの請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用の負担は、甲事件及び乙事件を通じて次のとおりとする。
1 乙事件原告松下寿子が乙事件訴訟提起のために納付した手数料(貼用印紙額)につき、これを五〇分し、その一を乙事件被告らの連帯負担とする。
2 その余の訴訟費用は各自の負担とする。
五 この判決は、主文第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 甲事件
1 甲事件被告らは、連帯して、
甲事件原告能登砕石株式会社に対し 金二八三九万四二四六円、
甲事件原告坂井吉五郎に対し 金七三九万六六九二円、
甲事件原告吉坂マチ子に対し 金一一六〇万九三五〇円、
甲事件原告吉坂正美に対し 金一一六〇万九三五〇円、
甲事件原告吉坂美穂子に対し 金一一六〇万九三四九円
及びこれらに対する昭和五四年三月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 仮執行宣言
二 乙事件
1 乙事件被告らは、連帯して、
乙事件原告松下寿子に対し 金七九五八万円、
乙事件原告松下秀造に対し 金一〇二万円、
乙事件原告株式会社共立建設に対し 金一〇二万円、
乙事件原告松下宏允に対し 金一〇二万円
及びこれらに対する昭和五六年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 仮執行宣言
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 能登採石場関係の当事者
(一) 甲事件原告(乙事件被告)能登砕石株式会社(以下「能登砕石」という。)は、昭和四六年一〇月三〇日採石業者登録(石川第四五号)をした採石業者であり、別紙第一物件目録記載の山林一三筆合計約一万六〇〇〇平方メートル(以下「能登採石場」という。)に採石権を有し、ここで採石業務をしているものである。
(二) 甲事件原告(乙事件被告)坂井吉五郎は、昭和五二年五月ころ能登砕石から能登採石場での岩石採取を請け負い、能登砕石と共同で採石業務をしているものである。
(三) 亡吉坂忠男は、右坂井に雇用され、能登採石場で採石業務に従事していた際、後記のとおり本件事故により死亡したものであり、甲事件原告吉坂マチ子は、亡忠男の妻、同吉坂正美及び同吉坂美穂子はその子である。
(四) 後記本件事故当時、乙事件被告渕田和夫は、能登砕石の代表取締役であったものであり、同篠原文祐は、能登砕石の従業員で能登砕石場の業務管理者として届け出られていたものである。
2 共立採石場関係の当事者
(一) 甲事件被告(乙事件原告)松下寿子は、昭和四一年五月ころ採石業務を開始し、昭和四六年一〇月二五日採石業者登録(石川第一六号)をした採石業者であり、別紙第二物件目録記載の山林六筆合計約七〇〇〇平方メートル(以下「共立採石場」という。)に採石権を有し、ここで採石業務をしているものである(甲事件原告らは、右事実自体を争うものではないが、甲事件被告(乙事件原告)松下秀造が実質的な事業主又は少なくともその一人である旨主張している。)。
(二) 共立採石場の業務管理者は訴外門口宣夫、現場統括者は甲事件被告(乙事件原告)松下宏充である。
(三) 甲事件被告(乙事件原告)共立建設株式会社(以下「共立建設」という。)は、土木建築の請負等を目的として昭和四三年一二月一四日設立された会社で、甲事件被告(乙事件被告)松下秀造及び同松下宏充はいずれも同社の代表取締役である。
3 両採石場の関係
共立採石場は、能登採石場の南東側に位置し、共立採石場の所在する石川県鳳至郡能都町字山田ヌ字一五番一、二及び一六番の山林が、能登採石場の所在する右ヌ字一七番一、一八番一及び二一番に隣接する関係にある(別紙「公図写し」表示のとおり。)
4 本件事故の発生
昭和五四年三月一一日午前九時三五分ないし四〇分ころ、両採石場の境界に近い共立採石場北東頂上付近の地山が崩壊して(以下「本件崩壊」という。)相当数量の礫石流が起こり、このうち推定約三〇〇〇立方メートルの岩石が能登採石場に流入して、同所付近でタイヤシャベルに搭乗して作業をしていた吉坂忠男(当時四四歳)をタイヤシャベルごと巻き込み、同人に重傷を負わせて死亡させた(以下、この事故を「本件事故」という。)。
二 甲事件の争点
甲事件は、本件事故が甲事件被告らの占有する土地工作物たる共立採石場の設置又は保存の瑕疵により発生したものであり、又は、甲事件被告らの過失により発生したものであるとして、民法七一七条一項本文、七〇九条、七一五条一項、七一九条一項、四四条に基づき損害賠償の請求がされた事案である。
1 本件事故の原因
(甲事件原告らの主張)
(一) 本件崩壊が生じた付近の岩盤構造は、いわば鉛筆を山肌の斜面に平行して何本も平行に並べた層を何層にも重ねて立て掛けたような、安山岩特有の柱状節理構造をしており、その下部の岩石を発破によって取り払えば、その上部表層部が容易に落下するような状態であった。また、昭和五三年ころからその付近の斜面全体に沢水が浸透していて、しかも、発破作業による岩盤の亀裂により、沢水が岩盤の境目付近を流れやすい状態となっていたことなどからして、これに大きな振動を加えたり、大量の沢水が流れ込んだりすれば、容易に崩壊するような状態であった。
(二) ところが、甲事件被告らは、昭和五四年三月九日午後零時ころ、現場の従業員らをして、いわゆる「すかし掘り」の方法(地山の斜面の裾の部分を穿孔して発破によってその上部の岩石を崩壊させて採取する方法)によって岩石を採取しようとして、本件崩壊に係る地山部分の下方約三五メートル、水平距離約三〇メートルの場所に、ダイナマイト二一〇本(爆薬三号桐一五七・六キログラム)を帯状に配置装填して爆破させ、その周辺の岩石を飛散させて前記地山部分を庇状にするとともに、その付近一体の岩盤を緩めた。そして、その翌一〇日終日大雨が降り、この雨が本件崩壊地点付近の地山の頂上にあった古い暗渠を通じて岩層に浸透したため、その付近の岩盤は一層崩壊し易くなった。
(三) 右(一)及び(二)の原因のため、更にその翌一一日午前九時四〇分ころ、共立採石場北東頂上付近の直径一〇メートルを超える岩塊が突然斜面を約一〇数メートル落下し、これを起因としてその付近の岩石が崩壊し、その一部が南西方向に崩落し、能登採石場に流入して本件事故が起こった。
(甲事件被告らの主張)
(一) 甲事件被告松下寿子が昭和五四年三月九日に現場作業員をして共立採石場内で発破作業をしたことは認めるが、右発破は広範囲に岩層を振動させるものではなく、発破当日及び翌日において何らの異状も生じていないことからみて、これが本件事故の原因であるとは考えられない。
(二) かえって、本件事故は、甲事件原告能登砕石、同坂井吉五郎及び右坂井の採石作業責任者亡吉坂忠男が次のとおり両採石場の境界線を越えて違法かつ危険な採掘をしたことにより発生したものである。
崩落の発生した本件地山の標高は一二六メートル以上に及び、本件事故現場付近の土場(標高約六二メートル)から計測しても六四メートル以上の高さを有していた。そして、その岩盤は、安山岩特有の割れ目を無数に有していて、掘削作業によって表土が取り除かれ風雪に直接さらされると、その切羽法面が容易に崩壊する危険をはらんでいた。
右のような本件地山に対して採掘作業を進めるにあたっては、労働安全衛生法、採石法等の定める掘削面の安全勾配(本件では六〇度)の確保に努め、すかし掘りを厳に慎み、採掘が終了又は中止したときには安全勾配の残壁を残し、土留工事等をし、崩落の危険の高い土場には立入禁止柵を設ける等の災害防止措置を実行することを要したものである。しかるに、能登砕石らは、違法なすかし掘りをし、かつ、両採石場の境界ぎりぎりまで又は一部境界を越えて、高さ六二・一メートルにも及ぶ高い掘削面にベンチ状の切羽を設けることもしないで、その勾配を七三度から八一度にも及ぶ急勾配で採掘し続け、昭和五二年一二月ころには絶壁状の掘削面として屹立させ、そのため崩落及び落石の危険が明らかとなって、採掘作業を一時中止せざるをえなくなったものである。能登砕石らは、その採掘作業中止後も、土留工事や落石危険区域を作業禁止区域とするなどの災害防止措置をとらないまま、斜面の法尻付近を作業土場として使用したため、昭和五三年五月に最初の崩壊を発生させたのであるから、遅くともこの時点において右の措置を講ずるべきであったのに、その後も放置し続けた結果、ついにその翌年三月に本件事故を招来するに至ったものである。
2 甲事件被告らの責任
(甲事件原告らの主張)
(一) 土地工作物責任
共立採石場は、民法七一七条一項にいう土地の工作物に該当するところ、甲事件被告らが昭和五四年三月九日に多量の爆薬を使用した発破作業によって崖面を前記のように庇状にし、かつ岩盤を緩めてしまったこと、翌日の大雨にも意を用いず崩落の危険を漫然と放置していたことは、その設置又は保存に瑕疵があったことになる。
甲事件被告松下寿子及び同松下秀造は、共立採石場の採石事業者であり、門口宣明及び甲事件被告松下宏充を介して同採石場を占有していたものである。甲事件被告松下宏充は、右門口とともに現場の責任者として同採石場を占有していたものであり、かつ、採石業者の一人である甲事件被告共立建設の代表取締役として同社のためにも占有していたものである。
以上のとおり、甲事件被告らは、共同して、共立採石場を占有していたものであり、その設置又は保存の瑕疵により本件事故を惹起させたものである。
(二) 一般の不法行為責任
甲事件被告らは、各々、現場作業員をして、労働安全衛生法、同規則及び採石法の定める安全勾配確保等の規制に従うよう指示すべき義務を負っていたのに、そのような指示をせず、かえって違法なすかし掘りによって採石することを許し、安全限度を超えた強力な発破作業により岩盤を庇状にし、そのため、前記安山岩特有の柱状節理と相まって容易に崩落するような危険な状態にした上、その翌日の大雨によって更に崩落しやすい状態となったのに、何ら危険解消の措置を取らず、また落石の危険について能登採石場関係者へ通報せず、現場作業員に対し右各措置を取るよう指示しなかったものであり、これらの過失により、本件事故を惹起させたものである。
(甲事件被告らの主張)
(一) 本件崩落箇所につき、甲事件被告らには、甲事件原告ら主張の設置又は保存の瑕疵がなく、また、甲事件被告らの行為には何ら過失が存しない。
(二) そもそも、本件崩落箇所は甲事件原告らによって違法に侵掘されていた場所であって、事実上同原告らが占有していたものであり、甲事件被告らはその部分の占有を奪われていたものである。また、そもそも甲事件被告松下秀造、同共立建設及び同松下宏充は、採石業者ではなく、共立採石場を占有していない。
(三) しかも、前記のとおり本件崩落の原因は、甲事件原告ら及び亡吉坂忠男自身が危険状態を作り出したことにあるから、損害賠償制度における公平の理念に照らして、原因者である甲事件原告及び亡忠男らがそれによって発生した損害を引き受けるべきものである。
3 損害
(甲事件原告らの主張)
甲事件原告らは、本件事故の結果、吉坂忠男を死亡させたほか、能登砕石所有のタイヤシャベルを損壊し、能登砕石及び坂井吉五郎の採石業務を休業に至らしめたこと等によって左記のとおりの損害が発生したと主張して、その損害賠償及び本件事故のあった日の翌日からの民法所定の遅延損害金の支払を請求しているものである。
記
① 甲事件原告能登砕石の損害
タイヤシャベルの修理費 一〇五万円
休業損害(昭和五四年四月から九月まで) 二五九二万六二四六円
弁護士費用 一四一万八〇〇〇円
② 甲事件原告坂井吉五郎の損害
亡吉坂忠男の葬儀費 一一七万一六四〇円
休業損害(昭和五四年四月から九月まで) 五八五万五〇五二円
弁護士費用 三七万円
③ 甲事件原告吉坂マチ子、同吉坂正美及び同吉坂美穂子の損害
亡吉坂忠男の死亡による慰藉料(右原告三名各自) 五〇〇万円
亡吉坂忠男の逸失利益 一八〇八万八〇四九円
(マチ子、正美及び美穂子が各三分の一の割合により相続した。なお、具体的にはマチ子及び正美が各六〇二万九三五〇円、美穂子が六〇二万九三四九円を相続した。)
弁護士費用(前同各自) 五八万円
なお、次の被告主張の損害の填補に関しては、争う。
(甲事件被告らの主張)
甲事件被告らは、損害額を争うほか、次の主張をする。
(一) 前記1及び2の甲事件被告らの主張記載の事情に照らすと、本件事故についての甲事件原告らの過失割合はいずれも一〇〇パーセントに及ぶものであるから、一〇〇パーセントの過失相殺がなされるべきである。
(二) 甲事件原告吉坂マチ子、同吉坂正美及び同吉坂美穂子は、亡吉坂忠男の死亡による損害に関し、労働者災害補償保険、甲事件原告能登砕石及び坂井吉五郎から合計二三八五万二七二〇円の支払を受けているところ、少なくとも亡吉坂忠男は採石作業における安全責任者であったから、本件事故に関する過失割合は八〇パーセントに及ぶものであって、その過失相殺の結果支払うべき損害金はすでに右支払金によって十分填補されているものである。
三 乙事件の争点
乙事件の事案は、 乙事件原告松下寿子が採石権を有する山林を乙事件被告らが侵掘したことを理由として、同原告が同被告らに対し、民法七〇九条、七一五条に基づき損害賠償請求したもの(以下「A請求」という。)と、 乙事件被告らが自ら又は吉坂らをして乙事件原告らに対して甲事件の訴えを提起しないし提起させたことが不法行為であるとして、同原告らが同被告らに対し、民法七〇九条に基づき損害賠償請求したもの(以下「B請求」という。)との二つで構成されている(なお、乙事件原告らは、左記損害額の一部及びこれに対する乙事件訴状送達の翌日からの民法所定遅延損害金を請求するものである。)。
1 侵掘(A請求)関係
(乙事件原告松下寿子の主張)
能登及び共立の両採石場の境界線は、別紙図面第一「能都町字山田地内能登採石場、共立採石場測量図」(以下「道下鑑定測量図」という。)表示イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チの各点を順次直線で結ぶ線であるところ、乙事件被告らは、共同して、故意又は過失により、(自ら、又は、能登砕石及び渕田和夫にあっては能登砕石の被用者(乙事件被告篠原文祐や同坂井吉五郎ら)をして、坂井吉五郎にあってはその被用者(亡吉坂忠男ら)をして、)昭和五二年三月ころから昭和五四年三月一一日ころにかけて、両採石場の境界線を越えて乙事件原告松下寿子が採石権を有する石川県鳳至郡能都町字山田ヌ字一六番山林に立入り、別紙図面第二ないし六記載のとおり約一〇二〇平方メートルの区域から約三万八〇〇〇から四万九〇〇〇立方メートルに及ぶ岩石(硬石)を不法に採取した。ところで、右岩石(硬石)一立方メートル当たりの得べかりし利益は金一八八一円であるから、乙事件原告松下寿子は、岩石侵掘量が三万八〇〇〇立方メートルの場合金七一四七万八〇〇〇円、四万九〇〇〇立方メートルの場合金九二一六万九〇〇〇円の損害を被っているものである。また、同原告は、右損害賠償請求訴訟の提起及びその追行を弁護士である同原告訴訟代理人に委任したことにより、後記不当訴訟による損害賠償の請求と合わせて乙事件の提起及び追行により金三六八万円の弁護士費用の支払を余儀なくされた。同原告は、右各損害のうち、右得べかりし利益の喪失については金七五〇〇万円を、右弁護士費用相当損害金については後記不当訴訟による損害金と合わせて金四五八万円(うち本件侵掘と因果関係のある損害は三六八万円を越えない。)をそれぞれ請求するものである。
(争点)
(一) 両採石場の境界線(乙事件被告らの主張線は、別紙図面第一道下鑑定測量図表示(A)、(B)、(C)、(D)、(E)、(F)、(G)、(H)、(I)、(J)、(K)の各点を順次直線で結ぶ線)
(二) 侵掘の有無
(三) 損害額
2 不当訴訟(B請求)関係
(乙事件原告らの主張)
乙事件被告らは、共同して、違法かつ危険な採掘をして本件事故を発生させておきながら、その被害者である亡吉坂忠男の遺族らにほとんど損害賠償をせず、かえって、不当にも自ら又は亡吉坂忠男の遺族らをそそのかして、その理由のないことを知り、又は容易に知りえたにもかかわらず、甲事件の訴えを提起し又は提起させたものであって、乙事件被告らはこれにより、その応訴及び乙事件の提訴にかかる別紙弁護士費用一覧表記載の弁護士費用相当の損害(なお、同表中、乙事件原告松下寿子の乙事件の提訴にかかる弁護士費用には、前記侵掘と相当因果関係のある損害となるものも含まれている。)を被った。このうち、乙事件原告松下寿子の請求額は前記1(乙事件原告松下寿子の主張)のとおりであり、また、その余の乙事件原告らは、金一〇二万円の限度で請求するものである。
(争点)
(一) 甲事件の訴えの提起が不法行為に該当するかどうか(理由のないことを知り、又は容易に知りえたといえるかどうか)。
(二) 損害額
第三争点に対する判断
一 甲事件について
1 本件崩壊に至る経緯等
《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 両採石場の存する本件地山は、安山岩を主体とし、特有の柱状節理という規則的な割れ目(節理)を有する柱状岩石の集合体であって、自然条件、振動等によって崩壊しやすい岩盤構造を有しており、その層面は本件崩壊が生じた箇所(以下「本件崩壊箇所」という。)付近においてはほぼ東西方向で、東に向かって左上から右下へ約五〇度勾配で傾斜していた。
(二) 共立採石場は、もと昭和三五年ころ甲事件被告松下秀造がそこで採石業を行うようになったのがその始まりであるところ、昭和四一年ころには同人の妻である甲事件原告松下寿子の名義で採石業を営むようになった。また、その当時、別の採石業者が、その後能登採石場となった場所で採石業を営んでいた。そのころの本件地山の状況は、別紙図面第七記載のとおりである(同図面は、石川県所有の昭和四一年撮影の航空写真(縮尺七〇〇〇分の一)を基にメトログラフ図化機によって図化したものであって、図化の最大誤差は(現地距離で)五、六十センチメートルとされる。)。同図面によれば、当時の本件地山は、本件崩壊箇所付近を含め、なだらかな斜面となっており、もともと自然的に崩壊する危険性のあるような急勾配の斜面が存したとは窺われない。同図面によれば、当時既に共立採石場において採石によるすりばち状の切羽が生じており、その後能登採石場となった場所においても別の採石業者の採石による同様の切羽が生じているものの、未だその範囲は狭く、本件崩壊箇所付近を含め両採石場の境界付近においては本件地山がそのまま残されていたものである。
(三) 昭和四六年ころ、能登採石場において、能登砕石が採石業を開始し、本件地山を掘り進んでいったものであるところ、その後の昭和四九年当時の地山の状況は、別紙図面第八記載のとおりである(同図面は、石川県所有の昭和四九年撮影の航空写真(縮尺八〇〇〇分の一)を基にメトログラフ図化機によって図化したものであって、図化の最大誤差は図面七よりやや大きい(精度が劣る)が、大差はない。)。同図面によれば、共立採石場において採石の範囲を拡大し前記すりばち状の切羽を広げつつあり、能登採石場においても能登砕石が当時採石の範囲を拡大し、相当広範囲な切羽が両採石場の境界付近に近づきつつあり、このとき既に本件崩壊箇所付近からみて西又は北東方向に存する切羽は相当程度の急勾配となっていたものである。
(四) 能登砕石は、その後、右の切羽の付近を更に掘り進み、昭和五二年五月の採取計画認可時点では未だ境界を侵して採石していなかったものの、その後昭和五二年末ころまでに両採石場の境界付近まで掘り進み、後記乙事件について判示するとおり境界ぎりぎりまで、また、一部境界を越えて掘り進んだ。別紙図面第一の道下鑑定測量図は昭和五五年六月時点での本件地山の現況を測量したものであるが、同図面表示(A)、(B)、(C)の各点を結ぶ線のほぼ西側に沿って存する切羽及び同図面表示(E)、(F)、(G)の各点を結ぶ線にほぼ沿って存する切羽は、昭和五二年末ころまでには能登砕石の掘削によって既に生じていたものである。これによれば、特に同図面表示(E)、(F)、(G)の各点を結ぶ線にほぼ沿って存する切羽は七三度ないし八一度の急勾配であって、昭和五三年五月の崩落前には、同図面表示(C)、(D)、(E)の各点を結ぶ線付近にも同程度に急勾配な切羽が能登砕石の掘削によって生じていたものと窺われる。そして、後記乙事件について判示するとおり、昭和五二年末ころまでに、能登砕石は、別紙図面第五表示のとおり、別紙図面第一道下鑑定測量図表示(B)、(C)、(D)、(E)の各点を結ぶ線から共立採石場側(概ね東側)に入った約二〇九平方メートルの面積を右のような急勾配で掘削していたものである。
(五) こうした能登砕石の掘削により、本件崩壊箇所付近の地山が急勾配で屹立して危険な状態となったため、昭和五二年秋ころ、能登砕石の従業員らが、共立採石場関係者の了解を得て共立採石場から本件崩壊箇所の東側付近に入れてもらい、そこに発破を仕掛けて、切羽を修正しようとした。しかし、発破を仕掛けてはみたものの、結局岩石は落ちず、かえって浮き石が残ったのみで、依然として右危険な状態は解消しなかった。
(六) 昭和五三年五月ころ、本件崩壊箇所付近の地山が崩壊し、能登採石場内に岩石が流入した。この結果、その崩壊によって残された本件崩壊箇所付近の地山には、庇状にかぶった箇所が二箇所生じ、かつ、その付近は急勾配で屹立して一層危険な状態となった。この時に崩壊した岩石は能登砕石が共立採石場側から買い取り、その後能登砕石は、当時右崩壊した共立採石場の地山の所有者であった武渕一男に対し、その弁償の趣旨で、同人の自宅の庭を無償で造園した。
(七) 能登砕石及び坂井吉五郎は、右昭和五三年五月の崩壊により、本件崩壊箇所付近の下方が更に危険な状態になり、穴水労働基準監督署の係官からそこでの作業を禁止するよう指示を受けていたのに、この付近に立入りを禁止する等の措置を取らず、後に亡吉坂忠男が本件事故に遭遇した現場(別紙図面第一道下鑑定測量図に「事故現場」と表示した場所)付近を含めて作業土場として使用していた。
(八) 昭和五四年三月一一日に至り、前記(六)のとおり、急勾配で屹立して、二箇所の庇状にかぶった部分が生じていた岩壁部分一帯が崩落して、前記第二「事案の概要」一「争いのない事実」4「本件事故の発生」のとおり、本件事故が発生したものである(その前々日の共立採石場での発破及びその後の経過については、後に詳しく検討することとする。)。
2 採掘の安全基準と能登砕石の採掘方法の危険性
《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 採石業者が岩石の採取のために掘削の作業を行う場合における掘削面の勾配について、労働安全衛生規則四〇七条は、地山が崩壊又は落下の原因となる亀裂のある岩盤からなるときは、掘削面の高さが五メートル以上に及ぶ場合はその勾配は六〇度以下としなければならない旨定めているところ、本件地山は前記のとおり安山岩を主体として柱状節理を有する岩盤から成っており、右にいう崩壊又は落下の原因となる亀裂のある岩盤からなる地山であることは明らかであって、右勾配の基準が妥当するものである。これは、採掘面の崩壊、土石の落下による災害防止の見地から、定められた基準である。
(二) これに加えて、通商産業省鉱山石炭局の定めた採石技術指導基準によれば、露天採掘の場合には、これに伴う土地の崩壊、土砂の流出等の災害を防止するため、すかし掘りのような崩壊をもたらす恐れのある採掘方法は避け、次のとおり採掘を行うものとすると定められている。すなわち、①掘削箇所が他人の土地に隣接する場合は、隣地を崩壊しないよう隣地との境界から一定の巾の掘採しない区域(保全区域)を設け、かつ、右保全区域の巾は原則として五メートル以上とすること、②砕石の生産を目的とする岩石採取場(能登採石場はこれにあたる。)においては、階段採掘法、傾斜面採掘法又はグローリーホール法を採用するものとし、(ア)階段採掘法の場合は、階段の高さは原則として一五メートル以下、階段の巾は起砕岩石の広がり巾に五メートルを加えた数値以上を維持するものとすること、(イ)傾斜面採掘法の場合は、掘採面の傾斜は六〇度以下の勾配とし、掘採箇所が崩壊しやすい岩石であるとき、又は、掘採斜面の高さが二〇メートル以上に及ぶときは、高さ二〇メートル以下ごとに適当な巾を有する階段を設けることなどが定められている。また、同基準においては、採掘終了時の措置について、①採掘終了時においては、隣地との間の保全区域が崩壊しないよう必要に応じて、土留工事を施すこと、②砕石の生産を目的とする岩石採取場(能登採石場はこれにあたる。)における採掘終了時の残壁は、岩質を考慮して六〇度以下の安全な勾配とし、かつ、残壁には高さ二〇メートル以下ごとに巾一メートルの階段を残すこと、③採掘終了時において、落石等による人に対する危害を防止するため、落石及び人の転落のおそれがある残壁の周囲には立入禁止柵を設けることなどが定められている。
(三) 能登砕石は、石川県知事から採取計画の認可を受けるに際し、露天掘(階段採掘法、傾斜面採掘法の併用)の採掘方法を実施することを条件に認可を受けていたが、実際に実施された採掘方法は、地山斜面の裾の部分をクローラドリルで穿孔し、そこに火薬を入れて発破し地山上部の岩石を崩壊させて採取するという、前記基準によって崩壊をもたらす恐れがあるとして禁じられたすかし掘りの方法によっていた。また、能登砕石の掘削計画によれば、掘削面の高さは約五〇ないし六〇メートルにも及ぶものであるから、前記基準によれば、傾斜面採掘法によった場合でも、高さ二〇メートル以下ごとに適当な巾を有する階段を設けなければならないところ、そのような階段状の切羽を設けないで掘削した。しかも、前記のとおり、能登砕石は、約七三度ないし八一度の急勾配により、隣地である共立採石場との間に所定の保全地域も設けず、むしろ一部境界を越えて掘削していたものであり、これらの点はいずれも前記基準に違反した危険な掘削方法と言わざるを得ない。その上、昭和五二年末ころまでに右急勾配になった切羽の下部が危険な状態となり、更に前記昭和五三年五月の崩壊により本件崩壊箇所付近の下方が更に危険な状態になったのであるから、前記基準により右落石の恐れがある残壁の周囲に立入禁止柵を設ける等の措置を取らなければならず、しかも、穴水労働基準監督署の係官からその旨の指示を受けていたのであるから当然そうすべきであったにもかかわらず、かかる措置を取らないでその付近を作業土場として使用していた。
3 共立採石場における本件事故の前々日の発破の状況及びその後の経過
(一) 発破を仕掛けた場所
《証拠省略》によれば、本件事故のあった日の翌日に穴水労働基準監督署によって行われた実況見分の際に、共立採石場の業務管理者であった門口宣夫は、本件事故の前々日に共立採石場関係者が発破を仕掛けた場所として土場の東奥に堆積している岩石の中にあった大きな岩石(本件崩壊により地山の頂上から崩落してきた大岩石とは異なる。)を指示しているところ、右写真ではその位置関係が必ずしもはっきりしないが、《証拠省略》によれば、その位置は別紙図面第九表示G地点と認められる。右門口は共立採石場の業務管理者として右発破場所を講しく認識していると解されること、右門口の指示は本件事故直後の記憶が鮮明なうちになされたものと解されること、同時に右実況見分に立ち会っている能登採石場関係者坂井恒治から右発破場所について別の指示があったことも窺われないこと等に徴して、右門口の指示は十分信用できると思われる。また、事実発破を仕掛けた箇所であれば、発破によって崩壊した岩石が残置されているはずであるところ、右門口が指示した場所には、岩石が堆積しており、右門口の供述の信用性を裏付けている。なお、本件崩壊によって岩石が崩れて堆積しているが、その場所よりも、右門口指示の場所は東に離れており、また、右門口が指示した場所より更に東には、写真上崩壊した岩石のある場所が見当たらない。かくして、右門口の指示は十分信用できる。《証拠省略》によれば、右門口が指示した発破場所は、本件崩壊によって崩落してきた大岩石のある箇所からはほぼ東南方向に約三〇メートル程度離れた地点であり、また、本件崩壊箇所からはほぼ東南方向に水平距離で約五〇メートル程度離れた地点であることが認められる。この点、《証拠省略》によれば、労働基準監督署係官が、本件事故の翌日に実施した右実況見分の結果に基づき、災害調査復命書中に、右発破を仕掛けた場所は地山の崩壊した部分から水平距離で約三〇メートル離れた場所である旨記載していることが認められる。この距離は同係官の目測によるものと窺われるところ、右認定を妨げるものではなく、むしろこれを裏付けるものと考えられる。
ところで、《証拠省略》によれば、検証の際に立ち会った両採石場関係者(渕田和夫、松下秀造、松下宏充)らは一致して、本件事故の前々日に共立採石場関係者が発破を仕掛けた場所は別紙図面第一〇「検証見取図第二図」表示B地点であると指示しているところ、右検証は本件事故の約八か月後になされたものであって、発破によって崩壊した岩石等も当時残っていた形跡はなく、右地点には他と識別できる程の特徴があったかどうかも定かではない(実際には何らかの特徴があったのかもしれないが、検証調書上明確ではない。)から、本件事故の翌日の前記実況見分に比べてその正確性に疑問を差し挟む余地があり、前記門口の指示した発破場所が本件事故の前々日の発破場所であるとの前記認定を左右するものとはいい難い。もっとも、両採石場関係者が一致して指示している点からみて、その指示した場所は事実発破が仕掛けられた場所とそう離れていないものと解される。そこで、右指示地点と前記門口が指示した地点との異同について検討するに、同図面においては方向、距離関係等が分かりにくいものの、甲事件被告(乙事件原告)松下宏充の本人尋問(第一回)における供述(特に、第二八回口頭弁論期日におけるもの)を参考にしながら、同図面、証人坂井恒浩の証言(第二回)において昭和六一年八月二九日付証人調書添付写真②上指示されたB地点の位置及び別紙図面第一道下鑑定測量図をそれぞれ見比べると、右B地点は、本件崩壊によって崩落してきた大岩石のある箇所からほぼ東南方向に約三〇ないし五〇メートル程度離れた地点であることが認められるので、結局これも前記門口指示の場所とそう大きな隔たりがあるわけではない。
これに対し、甲事件原告らは、別紙図面第一一記載のとおり、右発破の場所は本件崩壊によって崩落してきた大岩石のある箇所のほぼ真下付近である旨主張し、証人坂井恒浩(第一、二回)、証人木村一夫、乙事件被告篠原文祐、甲事件原告吉坂マチ子らがこれに沿う供述をしている。しかし、右証人又は本人らが本件事故の前々日に共立採石場の発破場所を正確に目撃していたことついては大いに疑わしく、右供述はにわかに採用し難い。
一方、甲事件被告(乙事件原告)松下宏充においても、右発破場所は別紙図面第九表示A地点である旨供述しているが、昭和六〇年一一月一日付松下宏充本人調書末尾添付の写真第二ないし第四号(前記本件事故直後の実況見分時の写真をコピーしたもの)において、右本人が発破地点として指示するA地点付近には発破によって崩壊した岩石等発破の痕跡となるような事物が写っていないことなどに照らして、右供述はにわかに信用できない。
以上の検討結果を総合すると、前記門口の指示した発破場所をもって、本件事故の前々日に共立採石場において発破を仕掛けた場所と認めるのが相当である。
(二) 爆薬量
《証拠省略》によれば、本件事故の前々日の発破の際に、ダイナマイト二一〇本(爆薬三号桐一五七・五キログラム)を使用したものであって、これは松下寿子において認可申請の際添付していた発破計画図記載の発破計画のほぼ二倍以上のエネルギーを持っていたものと認められ、他にこの認定事実を左右するに足る証拠はない。
(三) 発破後の経過
(ア) 翌日の雨について
《証拠省略》によれば、昭和五四年三月一〇日、本件現場付近においてほぼ一日中雨が降り、このときの雨水が、本件崩落箇所の地山の頂上に近く、右頂上部分から見て南東側にあった古い暗渠の跡から流れ出して、本件崩落箇所の南東側の岩盤に浸透していたことが認められる。ところで、このときの雨の量、強さ等に関して証人坂井恒治(第一回)及び甲事件原告吉坂マチ子らは、大雨であった旨供述するが、本件現場に比較的近い輪島測候所の記録によれば、同日の二四時間の降水量は二七・〇ミリメートルであったところ、これは、通常七〇ないし一〇〇ミリメートルと決められている大雨注意報の基準(理科年表読本「気象と気候」による。)をはるかに下回るものであって、大雨には当たらない。また、同測候所の記録によれば、同日中の最大一時間降水量は四・五ミリメートルであったところ、これは、右「気象と気候」によると、観測法上では強度1の「並み雨」とされ、その降雨状況は「地面に水たまりができる。雨の降る音が聞こえる。」程度のものであるとされている。しかも、本件崩壊の一つの原因として雨を指摘している穴水労働基準監督署の災害調査復命書においてさえ、本件事故前日の雨の量、強さ等が通常の程度を越えていたなどとするものではない。これらの諸点に照らすと、前記証人坂井恒浩(第一回)及び甲事件原告吉坂マチ子らの右供述部分はにわかに採用することができず、本件発破の翌日の雨の量、強さ等は通常の程度を越えるようなものではなかったと認められる。
(イ) 本件事故までの異変の有無
《証拠省略》によれば、共立採石場の関係者は右三月九日の発破後地山を点検したが、異状は発見できず、その翌日及び本件事故発生日の作業開始時にも点検したが異状は認められず、結局本件崩壊に至るまでの間に崩落の兆候となる落石等の事象は発見できなかったことが認められ、そのほか本件事故の前々日の共立採石場での発破から本件崩壊に至るまでの間に本件崩壊箇所付近において崩落の兆候となる落石等の異状があったことを窺わせる証拠はない。
4 本件事故の前々日の共立採石場での発破作業と本件崩壊との因果関係等
前記1及び2の事実によれば、共立採石場の関係者が昭和五四年三月九日に発破を仕掛ける前の時点で、既に本件崩壊箇所付近は、能登採石場の関係者(能登砕石又は坂井吉五郎の従業員ら)が安全基準を無視した危険な方法により急勾配で掘削したことと、更にこれに原因する昭和五三年五月の崩壊により、庇状にかぶった箇所が二箇所生じ、かつ、その付近は急勾配で屹立して、既に相当崩壊の危険性の高い区域となっていたものであり、この危険性の高い岩壁部分一帯が崩落して本件事故が発生したことが明らかである。
そして、前記3(一)認定の発破場所(本件崩壊箇所からはほぼ東南方向に水平距離約五〇メートル程度離れた地点)に徴して、甲事件原告らの主張するように共立採石場の関係者が本件崩壊箇所の直下に発破を仕掛けたとは認められないので、発破により支えがなくなってその発破場所の上部の岩石が崩壊したことによって本件崩壊が発生したとする甲事件原告ら主張の経過は認めることができず、他に甲事件原告らの主張するような崩壊の経過を認めるに足りる証拠はない。
もっとも、発破場所が本件崩壊箇所からほぼ東南方向に水平距離約五〇メートル程度離れた地点であっても、前記認定の爆薬量に照らし、岩盤を緩めて本件崩壊の原因の一つとなった可能性があるかどうかが問題となりうる。しかし、前記のとおり、本件崩壊箇所付近は、このような発破がなかったとしても、それ自体既に崩壊の危険性の高い区域となっていたものであること、右発破をしかけた後本件崩壊直前までの間に本件崩壊箇所付近において特に崩壊の兆候となるような異変は発見されていないこと、本件崩壊の前日の雨は特に大雨とはいえず、古い暗渠の跡から流れ出していたと窺われる水も前記庇状になって急勾配で屹立していた部分には流れ込まず、本件崩壊箇所の南東側の岩盤に浸透していたにとどまるものであること、このような雨によっても本件崩落箇所付近の岩盤を緩めることがありうるのか、また一般論として何らかの作用がありうると考えてみても、その内容・程度については全く明確でないこと、前記認定の爆薬量が共立採石場の発破計画の二倍以上のエネルギーのものであったとしても、前記のような本件崩壊箇所と発破場所との距離及び位置関係において本件崩壊箇所付近の岩盤に対してこれがどの程度影響力を及ぼし得るものかを具体的に認定できるような証拠もないこと等に照らして、この共立採石場における本件事故の前々日における発破が本件崩壊に寄与したことを認めることはできないといわざるを得ない。他に右発破が本件崩壊に寄与したことを認めるに足る証拠もない。
また、前記のとおり、本件事故の前々日の共立採石場での発破から本件崩壊に至るまでの間に本件崩壊箇所付近において崩落の兆候となる落石等の異状があったことを窺わせる証拠はなく、かつ、共立採石場の関係者が本件崩壊箇所付近の点検を懈怠したことも認められないのであるから、共立採石場の関係者が崩落の危険のある状態を放置していて本件事故を発生させたとする甲事件原告らの主張も認められないところである。
5 結論
以上検討したとおり、本件崩壊及び本件事故の原因は、甲事件原告能登砕石、同坂井吉五郎及びその被用者で採石作業責任者亡吉坂忠男らの違法かつ危険な採掘方法にあったものと認められ、一方、甲事件原告らの本訴請求の前提とする事実、すなわち、本件事故前々日の共立採石場での発破作業が本件崩壊及び本件事故の原因となったこと、かつ、共立採石場の関係者が崩落の危険のある状態を放置していて本件事故を発生させたことはいずれもこれを認めるに足りる証拠がなく、本件崩壊について甲事件被告らの行為が寄与していたと断ずることができないことになる。よって、甲事件原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないといわざるを得ない。
二 乙事件中のA請求について(侵掘関係)
1 乙事件原告松下寿子が採石権を有する土地の範囲
(一) 乙事件原告松下寿子の主張する両採石場の境界線について
乙事件原告松下寿子は、別紙図面第一道下鑑定測量図表示イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チの各点を順次直線で結ぶ線が両採石場の境界である旨主張しているところ、同原告はその根拠について明確な主張をしているわけではないから、同原告がいかなる根拠に基づきかかる主張をしているのか必ずしも明確でないものの、同原告の立証の状況等に鑑みると、同原告が採石権を有する石川県鳳至郡能都町字山田ヌ字一六番山林(以下「一六番山林」という。)の元の所有者である証人武渕一男の証言を主たる根拠として右境界線の主張をしているものと思われる。しかし、次に述べるとおり、同証言は右境界線の十分な根拠となりえないものである。
同証人は、昭和四一年当時自分の所有していた一六番山林は楢、栗などの雑木林であり、それに隣接する石川県鳳至郡能都町字山田ヌ字一七番一及び二の各山林(以下「一七番一及び二山林」という。現在能登砕石が採石権を有する。)が当時杉林であったことを主な根拠として、それらの土地の境界は別紙図面第一二記載のとおりである旨供述する。しかし、同証人の供述は現況が著しく変化した後である約一七年後において昭和四一年当時の航空写真を見た上で供述したものであって、その正確性に相当な疑いがある。
そもそも、同証人の供述する境界自体、乙事件原告松下寿子の主張する境界線とは、右図面第一二表示イ点と、同図面表示ヘ、ト、チ(図面上方で橙色の線が途切れる箇所)の各点を順次結ぶ直線において符合するのみであって、その余の同原告の主張と十分に重なるものではない。しかも、同証人の「一七番一及び二山林が当時杉林であったこと」が間違いない事実とするならば、少なくとも、同図面表示ニ点付近においては、杉林が同原告主張の境界を越えて共立採石場側に入っていることから、その限りでは、同原告の主張と矛盾することとなる。更に、通常は隣地との境界から少し下がった場所に植林するものと考えられるところであるから、一七番一及び二山林の範囲は、右図面に杉林と表示されている範囲よりも若干共立採石場方面に入った広がりのある地域となるものと思われ、これによればなお一層同原告の主張と矛盾することとなる可能性が大きい。その上、同証人は、杉林の上方の境界は地形的に見て両方の土地から背になっていたものである旨供述しているのに、同図面を見る限り、同証人の供述する境界線のうち、杉林の上方から同図面表示ヘ、ト、チの各点を順次直線で結ぶ線はむしろ谷に近い地形となっていることが認められる。この点、乙事件被告らの主張する境界線は昭和四一年当時の地形図である別紙図面第七を見るかぎり尾根筋に沿っているものであるから、同証人が境界が尾根筋である旨を供述しているものと理解するならば、むしろ乙事件被告らの主張に合致していることになる。
以上述べたとおり、同証人の供述には、合理的な疑いを容れる余地が多分にあり、これをにわかに信用することができず、他に乙事件原告松下寿子の境界に関する主張を認めるに足りる証拠はない。
(二) 乙事件被告らの主張する両採石場の境界線について
次に、乙事件被告らの主張する両採石場の境界線の根拠について検討するに、《証拠省略》によれば、
(ア) 能登砕石が、昭和四八年に採石法に基づき採取計画の認可申請をなすにあたり、武田測量士に依頼して採取場の区域を測量してもらったが、その際、亡吉坂忠男は、両採石場の境界として別紙図面第一道下鑑定測量図表示(A)、(B)、(C)、(D)、(E)、(F)、(G)の各点を順次結ぶ直線を境界と指示して、右各点に杭を打ち、更に、これに同図表示(G)、(H)の各点を結ぶ直線の北方に従前から地主が打っていた境界杭を合わせて、それらの杭の打った地点を武田測量士が両採石場の境界として測量し、これにより作成した図面を添付して能登砕石は採取計画の認可申請を行ったこと
(イ) 亡吉坂忠男が、能登砕石が本件現場で採石業を営む約一〇年前から、そこで採石業を営んでいた上野組、斉藤組に雇用されて本件現場で働いており、そのころから山の手入れ等の仕事も担当していたものであり、かつ、能登砕石が採石業を営むようになってからも、亡吉坂は採石の責任者として働いていたものであって、両採石場の境界については詳しい知識を有していたものと窺われること、
(ウ) 能登砕石の業務管理者である篠原文祐においても、自分よりも亡吉坂忠男の方が境界に関しては詳しかったものであり、自分が鑑定人道下忠夫の鑑定測量に際して指示した境界線(当初の乙事件被告らの主張線である別紙図面第一道下鑑定測量図表示1、2―2、2―1、2、3、4、5、6、7、8の各点を順次直線で結ぶ線)についても、前記亡吉坂が指示した境界線と同一と考えて指示したものであって、同図ができあがるまで前記亡吉坂が指示した境界線と食い違うとは思っていなかった旨供述していること、
(エ) 共立採石場(乙事件原告松下寿子)の方でも、亡吉坂の指示した境界線を前提とした上で武田測量士が測量した掘削計画図を添付して採取計画の認可申請を行っていること、
以上の事実を認めることができ、これによれば、むしろ、乙事件被告らの主張する境界線の方が十分な根拠を有するものである。
(三) 以上に検討した結果を総合すると、乙事件被告松下寿子が採石権を有する土地の範囲は、別紙図面第一表示(A)、(B)、(C)、(D)、(E)、(F)、(G)、(H)を結ぶ線の東側までと認められるにとどまり、その西側にまで及んでいることを認めるに足りる証拠はないに帰する。なお、右の線の東側について乙事件原告松下寿子が採石権を有することは、乙事件被告らも争わないところである。
2 侵掘の有無及び侵掘面積
(一) 《証拠省略》によれば、能登砕石の昭和五二年三月の採取計画の認可申請時に添付した掘削計画平面図では、前記境界付近は未だ掘削されておらず、右採取計画において今後掘削する範囲とされているのみであるから、少なくとも右申請を石川県知事が認可した時点(同年五月)ころには未だ境界を越えて岩石を採取していなかったと認められる。
ところが、前記一「甲事件について」1「本件崩壊に至る経緯等」(四)に判示したとおり、能登砕石が約七三度ないし八一度の急勾配で掘削したことによって、昭和五二年末ころ既に別紙図面第一道下鑑定測量図表示(E)、(F)、(G)の各点を結ぶ線にほぼ沿って存する切羽を生じさせていたものであって、その後右切羽の先端は同図面表示(E)、(F)、(G)の各点を結ぶ線の南東側に越えて存在していることからして、この部分について能登砕石が前記認可のあった昭和五二年五月ころから同年末ころまでの間に境界を越えて乙事件原告松下寿子の採石権を有する岩石を不法に侵掘していたことが明らかである。乙第二七号証によれば、この部分は、別紙図面第二の赤線で囲まれた地域③に当たり、その侵掘面積は、別紙図面第六のとおり、約四四平方メートルとなるものと認められる。
(二) 《証拠省略》によれば、乙事件原告松下寿子が昭和五三年七月の採取計画認可申請にあたり、武田測量士に依頼して昭和五三年春ころ測量させた図面(甲第二〇号証の二。同図面には、測量昭和五三年六月一五日終了とあるが、《証拠省略》によれば、昭和五三年春ころ測量したものと認められる。)には、別紙図面第五「位置図」表示のとおり、別紙図面第一道下鑑定測量図表示(B)、(C)、(D)、(E)の各点を結ぶ線から共立採石場側に入り込んだ切羽が記載されており、右測量時である昭和五三年春ころにおいて右切羽が既に存したことが認められる。また、右認可申請書の添付写真である甲第三八号証の二六は、前記昭和五三年五月の崩壊後、その崩落した岩石を取り除いた後に撮影したものと思われるが、右写真上もその崩壊前に既に右切羽が存したことが窺える。そして、《証拠省略》によれば、右切羽の先端と右道下鑑定測量図表示(B)、(C)、(D)、(E)の各点を結ぶ線に囲まれた区域は、別紙図面五のとおり約二〇九平方メートルの面積となるものと認められる。そこで、右切羽が形成された原因について検討するに、右切羽の形状から見て能登砕石が能登採石場側から掘削したことによって右切羽が形成されたものと見るのが合理的であり、これに反する証拠はない(《証拠判断省略》)。よって、右約二〇九平方メートルの区域において、能登砕石は、乙事件原告松下寿子が採石権を有する岩石を侵掘したものと認定できる。なお、《証拠省略》によれば、右区域は昭和五二年五月ころから同年末ころまでの間に(前記のとおり、同年五月ころには未だ侵掘はなかったと認められるから、侵掘はその後と思われる。)侵掘されていたものと認めることができる。
(三) これに対し、乙事件原告松下寿子は、別紙図面二の赤線で囲まれた地域①及び②についても、能登砕石が侵掘したものと主張しているが、この地域については、次に述べるとおり、能登砕石の侵掘を認めるに足る証拠はない。すなわち、《証拠省略》によれば、この区域は前記昭和五三年五月の崩壊及び本件崩壊によって相当岩石が崩れている区域にあたり、別紙図面第二の赤線で囲まれた地域①及び②の急傾斜部分は、右二回の崩壊によって生じた可能性が否定できず、右昭和五三年五月の崩壊前において、能登砕石の掘削によって生じていたことを認めるべき確たる証拠はない。この点、ほぼ《証拠省略》によれば、右昭和五三年五月の崩壊以前において、同模型上、前記①及び②の部分には侵掘の痕跡が認められないことから見ても、そのように言うことができる。なお、《証拠省略》によれば、右昭和五三年五月の崩壊によって落下した岩石については、能登採石場側の関係者が共立採石場側から正当に買い受けていたことが認められる。
(四) 右により、乙事件原告松下寿子が採石権を有する別紙図面第二の赤線で囲まれた地域③(約四四平方メートル)と、別紙図面第五「位置図」表示のとおり、別紙図面第一道下鑑定測量図表示(B)、(C)、(D)、(E)の各点を結ぶ線とこの線から共立採石場側に入り込んだ切羽とを結ぶ線に囲まれた区域(約二〇九平方メートル)において、能登砕石が境界を越えて不法に岩石を採取していたことが認められるが、右の合計約二五三平方メートルの区域(以下「乙事件被告ら侵掘部分」という。)以外の区域については、そのような侵掘の事実を認めるに足りる証拠がない。
3 乙事件被告らの責任
(一) 《証拠省略》に、前記第二の一「争いのない事実」1「能登採石場関係の当事者」に記載の事実並びに前記1及び2記載の事実を合わせると、次の事実を認めることができる。
(ア) 乙事件被告能登砕石は、能登採石場における採石業務を、昭和五二年五月ころから乙事件被告坂井吉五郎に請け負わせていたが、具体的な採石業務は、右吉五郎の子である坂井恒浩が現場の中心となって、右吉五郎に雇用されていた亡吉坂忠男らを使用して採石業務を行っていた。
(イ) 右坂井吉五郎の採石業務は、亡吉坂及び森川秀雄が現場責任者となって、掘削、採石作業を行っていたが、能登砕石の方からもその従業員である乙事件被告篠原文祐が総括的な業務管理者として現場に出て、亡吉坂らを指揮監督して掘削作業を管理していた。
(ウ) 亡吉坂は、前記のとおり古くから能登採石場で働いていたものであって、共立採石場との境界についても詳しく認識していたものであり、乙事件被告篠原文祐においても、亡吉坂が境界に詳しいことを知っていた上、自分でも亡吉坂から境界のことを聞いていた。
(エ) それにもかかわらず、亡吉坂は、前記のとおり隣接する共立採石場との間に本来設けるべき保全区域を設けることもせず、境界を越えて岩石を採取していたものであり、このように境界を侵して岩石を採取していたことについては、亡吉坂及び乙事件被告篠原文祐において、十分に認識していたか、少なくとも、容易に知りえたものである。
(オ) 一方、能登砕石の代表取締役乙事件被告渕田和夫は、現場を見る機会は少なかったものの、本件地山の状況、能登砕石及び坂井吉五郎の採石方法、本来なされるべき採石方法(安全勾配、隣地との保全区域)について、十分に認識していたものであり、少なくとも安易に認識できる立場にあったものである。また、能登砕石の会社の規模は大きいものでなく、同人が直接に篠原文祐を選任監督する立場にあったほか、現実の掘削、採石業務についても能登砕石の従業員及び坂井吉五郎に対して指揮監督する立場にあったことは明らかである。
(二) 右事実関係に照らし、前記侵掘に関する乙事件被告らの責任については次のように判断することができる。
(ア) 乙事件被告篠原文祐の責任
前記のとおり、乙事件被告篠原文祐は、能登採石場の業務管理者として右坂井吉五郎及びその従業員らの掘削、採石作業を指揮監督する立場にあり、共立採石場との境界について十分認識し、又は容易に認識しえたにもかかわらず、故意又は過失により、隣接する共立採石場との間に本来設けるべき保全地域を設けることもしないで、境界を侵して乙事件原告松下寿子が採石権を有する岩石を不法に採取していたものであるから、民法七〇九条に基づきこれにより同原告に生じた損害を賠償すべき責任を負う。
(イ) 乙事件被告能登砕石の責任
乙事件被告能登砕石は、篠原文祐を使用する者であり、右損害は同人の事業の執行につき加えたものであるから、乙事件被告能登砕石は、民法七一五条一項に基づく損害賠償責任を負う。
(ウ) 乙事件被告渕田和夫の責任
乙事件被告渕田和夫は、本件侵掘の当時能登砕石の代表取締役であり、本件地山の状況、能登砕石及び坂井吉五郎の採石方法、本来なされるべき採石方法(安全勾配、隣地との保全区域)について、十分に認識していたか、少なくとも容易に認識できる立場にあったのに、故意又は過失により、漫然と篠原文祐らをして境界を侵して乙事件原告松下寿子が採石権を有する岩石を不法に採取するに委せたのであるから、直接民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負うものと考えるのが相当である。また、少なくとも、同人は、能登砕石の代表取締役であり、篠原文祐を直接選任監督し、掘削、採石作業について具体的に指揮監督できる立場にあったものであるから、民法七一五条二項の代理監督者として能登砕石と同様に右篠原の不法行為に関し責任を負うものであって、いずれにしても賠償責任を免れないものである。
(エ) 乙事件被告坂井吉五郎の責任
前記のとおり、乙事件被告坂井吉五郎の従業員である亡吉坂忠男らは、共立採石場との境界について十分認識し、又は容易に認識しえたにもかかわらず、故意又は過失により、隣接する共立採石場との間に本来設けるべき保全地域を設けることもしないで、境界を侵して乙事件原告松下寿子が採石権を有する岩石を不法に採取していたものであるところ、乙事件被告坂井吉五郎は、亡吉坂忠男らを使用する者であり、右不法採取による損害は同人の事業の執行につき加えたものであるから、乙事件被告坂井吉五郎は、民法七一五条一項に基づく損害賠償責任を負う。
(オ) 共同不法行為
右事実関係に照らし、乙事件被告らは、一つの採石業務を組織体として行うにつき、共同して右不法行為をなしたものと認められるから、民法七一九条により連帯して損害賠償責任を負う。
4 能登砕石が侵掘した岩石の量
前記一「甲事件について」1「本件崩壊に至る経緯等」(四)記載のとおり、乙事件被告ら侵掘部分は、ほぼ七三度ないし八一度の急勾配で掘削されたと推認できる。次に、その掘削底面について検討するに、まず、別紙図面第二の赤線で囲まれた地域③(約四四平方メートル)については、前記のとおり、掘削した当時と昭和五五年の鑑定人道下忠夫による鑑定測量当時と地山にほとんど変化はないものと考えられるから、道下鑑定測量図によって認められる昭和五五年当時の地山の標高がほぼ掘削底面となると思われるところ、これによれば右地域の最低の標高が約一三〇メートルであるから、それより上方の地山が掘削されたものと認めることができ、掘削深度としても最大一〇メートルを超えないものと認められる。これに対し、別紙図面第五「位置図」表示のとおり別紙図面第一道下鑑定測量図表示(B)、(C)、(D)、(E)の各点を結ぶ線とこの線から共立採石場に入り込んだ切羽とを結ぶ線に囲まれた区域(約二〇九平方メートル)の掘削底面については、乙事件被告らが侵掘した後に本件崩壊による岩石が堆積しているため、右道下鑑定測量図によって認められる昭和五五年当時の地山の標高から右堆積岩石分を差し引いて考えなければならないところ、乙第一二、第一三号証によって認められる能登砕石の掘削計画上掘削底面の標高が約六〇メートルとなっていること、右道下鑑定測量図上本件事故現場付近の標高が約六〇メートルとなっていることなどを総合すれば、その地域の掘削底面はほぼ標高約六〇メートル程度となるものと認められる。
右のとおりの掘削勾配及び掘削底面に乙第二四、第二五号証及び第二七号証記載の掘削土量計算の結果(同計算は掘削勾配を垂直ないし八一度二分五八秒として計算しているため、この結果よりも相当低めに見積もる必要がある。また、同計算は近似計算であるから、その意味でも低めに見積もるのが相当である。)を合わせると、乙事件被告らは、乙事件被告ら侵掘部分から少なくとも約二五〇〇立方メートル程度の岩石を掘削したものと認めるのが相当であり、かつ、これ以上の掘削については証明不十分というべきである。
5 損害額
(一) 《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。
(ア) 乙事件原告松下寿子の共立砕石場からの岩石の採掘による砕石等出荷高は、昭和五三年及び五四年の実績によると、別紙砕石等出荷高表のとおりである。右両年の実績を年平均すると左記のとおりである。
記
① 砕石 二万五二一一・〇五立方メートル
② 栗石 四六一四・四〇立方メートル
③ 捨石 五九〇・五〇立方メートル
④ 粒調砕石 二四三五・五五立方メートル
(イ) 右製品量を生産するのに必要な岩石量を、岩石の変化量から求めると左記のとおりである。
① 砕石分岩石 八一三五・八七立方メートル
(製品量) (変化率) (岩石量)
計算式 25,211.05m3÷1.675÷1.85=8,135.87m3
② 栗石分岩石 一六一二・三二立方メートル
計算式(前同) 4,614.4m3÷1.547÷1.85=1,612.32m3
③ 捨石分岩石 三一九・一八立方メートル
計算式(前同) 590.5m3÷1.85=319.18m3
④ 粒調砕石分岩石 五二三・九八立方メートル
計算式(前同) 2,435.55m3×2÷3÷1.675÷1.85=523.98m3
合計岩石量 一万〇五九一・三五立方メートル
(ウ) 乙事件原告松下寿子の昭和五三年及び五四年分の所得税青色申告決算書によると、両年度の岩石の採取による売上金額から仕入金額(製造原価)及び経費を差し引いた利益額は別紙利益表のとおりであり、両年度の年平均利益額は金四二〇万五六二六円となり、これを右(イ)の合計岩石量で除すると、岩石一立方メートル当たりの利益高は、金三九七円(円未満四捨五入)となる。なお、右は、砕石製品を生産・販売することによって得べかりし利益であって、生産設備の使用を前提とするものであるから、利益額の算出にあたっては減価償却費を経費に含めて計算するのが相当である。
(二) 侵掘による逸失利益額
右(一)の事実によれば、乙事件原告松下寿子は、乙事件被告らが侵掘した約二五〇〇立方メートルの岩石から、金九九万二五〇〇円の利益を得ることができたはずであるのに、前記乙事件被告らの侵掘によってこれを喪失したものと評価できるから、乙事件原告松下寿子は、乙事件被告ら侵掘により同額の損害を被ったものと言える。
(三) 弁護士費用相当損害額
乙事件原告松下寿子が、本件侵掘による損害賠償請求の訴えの提起及び追行を弁護士である同原告代理人に委任したことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、乙事件のうち、本件侵掘による損害賠償請求に関する部分の立証の難易度、右認容額等の諸般の事情を勘案すると、前記損害額の二割相当の金額(金一九万八五〇〇円)をもって、乙事件被告らによる侵掘行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
6 結論
以上検討したとおり、乙事件被告らの侵掘を原因とする乙事件原告松下寿子の請求は、乙事件被告ら各自に対し、金一一九万一〇〇〇円及びこれに対する乙事件訴状送達の翌日である昭和五六年二月二四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。
三 乙事件中のB請求について(不当訴訟関係)
乙事件原告らは、甲事件の訴えの提起が不法行為に該当する旨主張するが、そもそも法的紛争の当事者がその終局的解決を求めて裁判所に訴えを提起することは国民の重要な権利のひとつであるから、単にその訴訟において敗訴したからといって訴えの提起が不法行為に該当するわけではなく、これが不法行為となるのは、提訴者が請求に理由のないことを知り、又は通常人であれば容易に知りえたのに敢えて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解される。
ところで、前記一「甲事件について」において検討したとおり、甲事件の請求は、本件事故前々日の共立採石場での発破作業が本件崩壊及び本件事故の原因となったこと、かつ、共立採石場の関係者が崩落の危険のある状態を放置していて本件事故を発生させたことがいずれも認められないことから理由がないと判断されたものであるが、前記のとおり、乙事件被告らが本件地山を急勾配で境界ぎりぎりまで、又は一部境界を越えて採石したことが本件崩壊の主たる原因であるとしても、本件崩壊に共立採石場における本件崩壊の前々日の発破が何らかの寄与をしているとすれば、その寄与度に応じて甲事件原告らが共立砕石場の占有者に対し損害賠償請求をなしうるものと解されるから、結局のところ、甲事件の提起が著しく相当性を欠くかどうかは、乙事件被告らが共立採石場における本件崩壊の前々日の発破が本件崩壊の一因をなしたと判断したことの相当性にかかってくるといえる(なお、甲事件被告ら全員が共立採石場の占有者とされるかどうかもひとつの問題であるが、右占有者に甲事件被告ら全員が含まれるかどうかはともかく、誰が占有しているかは少なくとも第三者から見て明確であるとは言い難いから、甲事件被告ら全員を占有者として訴えを提起したからといって、これが著しく不相当とはいえない。)。
しかるところ、前記一「甲事件について」において掲げた証拠及びそこで判示した事実関係に照らすと、
1 共立採石場における本件崩壊の前々日の発破が本件崩壊の一因をなしたかどうかの判断については、事実の客観的認識もさることながら、本件地山の岩盤の崩壊経過等についての専門的科学的知識を必要とし、その上に法的な相当性の判断を含んだ因果関係の判断(相当因果関係についての判断)が必要であるところ、甲事件の訴え提起時点において、乙事件被告らのような一私人に対し、右につき十分に判断できるような資料を収集すべきことを求めることは酷にすぎると解されること、
2 そもそも、前記のとおり、本件事故の前々日の発破の際に使用した爆薬量は松下寿子において認可申請の際添付していた発破計画図記載の発破計画のほぼ二倍以上のエネルギーを持っていたものと認められるから、事故の前々日の発破ということも合わせ考えると、これが本件崩壊の一因をなした可能性が全く否定されるものではないのであって、前示理由によりこの因果関係を断定することができないというにとどまること、
3 本件事故直後に穴水労働基準監督署において、共立採石場における本件崩壊の前々日の発破が本件崩壊の原因の一因をなしている旨の災害調査復命書が作成されているところ、その内容を甲事件原告らが訴え提起前に知っていたかどうかは明らかでないものの、右係官らは、実況見分、関係者の事情聴取等の十分な調査を経た上でなおそのような判断に達したものであるから、乙事件被告らがこれと同様な判断をしたとしても何ら責められないところと考えられること、
などの事情が認められ、これに徴するとき、乙事件被告らが甲事件の請求に理由がないことを知っていたとは到底認められないのみならず、右請求に理由がないことを容易に知りえたのに著しい不注意により甲事件の訴えを提起し、又は提起させたなどと認めることもできない。すなわち、甲事件の提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものであるとは、到底認めることができない。
よって、その余の点について判断するまでもなく、甲事件訴訟の提起が不法行為であるとする乙事件原告らの請求は、理由がない。
四 まとめ
以上の次第で、甲事件原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、乙事件原告松下寿子の請求は、乙事件被告ら各自に対し金一一九万一〇〇〇円及びこれに対する乙事件訴状送達の翌日である昭和五六年二月二四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、乙事件原告松下寿子のその余の請求及びその余の乙事件原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤剛 裁判官塚本伊平、同松谷佳樹はいずれも転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 伊藤剛)
<以下省略>